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立花隆氏の一言が強く私の心を突き刺しました。細川政権が発足した直後のことです。
「佐藤さん、あなた方はやれ革命だ、平成維新だと浮かれているけれど、どれだけの犠牲を払ってきたのですか?明治維新は何万の屍を乗り越えて成就した。伊藤や木戸はその背中を踏み越えて新政府を作ったのです。」
たった10人の反乱。新党さきがけは健全なる野党を目指して船出をしたはずでした。しかし、時代に翻弄されつつ誕生した細川政権に、私は知らず知らずに有頂天にさせられていたのです。好んで平成維新を気取っていたのかもしれません。案の定、細川政権は瓦解し、自民党のダミー政権が巧妙に用意されました。
1995年8月1日。新党さきがけと村山政権に見切りをつけ無所属になった私は、立花隆氏の言葉を思い出し、自らが踏みつけられる屍になることを決意したのです。
無聊をかこつ日々。無所属は国会では過酷なまでに無力でした。
そんな時出合った本が奈良本辰也編の「先駆者の思想」。そこに大塩平八郎が記されていたのです。私が興味を抱いたのは、彼の決起そのものではなく、明治維新とその時代との間合いでした。三十年の間隔。明治維新まで、大塩や生田万が乱を起こして尚30年を要したのです。改革の果実を自らが求めては駄目だ。あせらずに、そして着実に私は改革の用意を始めました。
この年の12月6日、中矢勝氏の協力を得て居酒屋「洗心洞」が誕生したのです。 (つづく)

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